About

笹田百合

Yuri Sasada

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​現在東京オフィスで奮闘中

ギャップだらけの動画クリエイター

徳島県徳島市生まれ

肩書/動画クリエイター・ライター

趣味/映画・音楽・お酒・街歩き・フィドル・数秘術

好きな音楽/ソウル・ヒップホップ・アイリッシュ・ジャズ・レゲエ

直近の仕事|

●徳島県PRプロジェクト

『Follow Your Heartbeat. あなたらしくはじめよう、あたらしいくらし。』

 阿波踊り動画を担当。

 徳島県内の9名の映像監督が、徳島にある様々なコンテンツを担当し、県外の若者のハートを動かす映像を制作するプロジェクに参加。YouTube, Instagram, TikTokそれぞれに合わせた映像を制作。

●観光PR動画制作

 台湾向け徳島観光PR動画の撮影・編集
 

●徳島木のおもちゃ美術館HP

 あすたむらんど徳島内に新たに新設される木の美術館のHPを制作。

兄とゲーム三昧、負けん気の強さが育つ

徳島市生まれ。3つ上の兄と二人兄妹。兄の友人たちに混じって遊ぶこともよくあったようで彼女の負けん気の強さはこの頃に育ったのかもしれない。幼少期はまさに平成のゲーム黄金期。ファミコンから始まり、スーパーファミコン、64、キューブ、プレステ、ゲームボーイ、様々なゲームを兄や友人たちとしていた。

機械好きの父の影響から、小学校の時から家でパソコンをいじるようになる。『打モモ』というタイピングゲームにハマり、兄とよく競う。その甲斐もあって、この頃タイピングの早さはクラスで一番をとるほどだったという。チャットやオンラインゲームも流行り、もちろん彼女も熱中。帰宅すればすぐにパソコンに向かい、ゲームをしていた。こうした経験からパソコンが楽しいものという認識を持って育った。

​音楽でつながってきた

彼女はフィドル弾きでもある。楽器は3歳から中学校までピアノを、高校からバイオリンを弾いている。現在でも時々アイリッシュやケルトを演奏するバンドでライブをしているそう。バンド仲間はバーのカウンターでたまたま横になってアイリッシュパンクの話で盛り上がったことがきっかけで組むことになったという。音楽とお酒が好きな彼女ならではのエピソードだ。

高知で刺激を受ける

理系科目が得意だったことから高知大農学部に進学。生活の根本に関わることを広く学べて知的欲求を満たしてくれるような気がしたからだと話す。しかし、農学部生しかいないキャンパスライフが次第に退屈になり、新しい出会いを探しカフェ巡りをはじめた。そんな中、カフェの店内に貼られた一枚のポスターが気になった。『ヴィレッジ〜モノと食、音が奏でる土日市〜』のボランティアスタッフ募集広告だった。いてもたってもいられなくなり、スタッフとしてイベントに参加。幅広い分野の雑貨やアート作品の店、飲食店が80店舗ほど出店し、アコースティックライブも開催された。実行委員も個人事業主やクリエイターばかり。その出会いは彼女に刺激を与えた。じきにそれは地元徳島でイベントを開催したいという思いに変わる。

ーいいものをより多くの人に伝えたいー

ノウハウを学ぶために東京や神戸に音楽やクラフトイベントのお手伝いにいったり、徳島上勝町で行われていた「起業家育成インターンシップ」に参加したりした。そうした中で「伝える」には手に職をつけなければと思い、Macを買ってデザインや映像の勉強を開始。大学4年次には卒論を早々と書き上げ徳島で音楽イベントを開催する準備を始めた。イベントの企画や広告の作成、営業活動…。チラシやポスターのデザイン、写真撮影、ライブ動画の撮影・編集、ワードプレスを使ったHPの制作などを活動を通して身につけていった。

無印良品の新店舗立ち上げを経験

起業家やクリエイターと関わりが多くなり、就職には様々な選択肢があった。就職活動をしなくてもいけるのではと思ったが、父から「就職活動という世間の多くの人が通っている困難を同じように経験するほうが多くの人の価値観に触れることができる」という言葉に動かされ就職活動。無印良品に就職。初めての配属先は、無印良品そごう徳島店のオープニングスタッフだった。新しい店舗を仲間と作り上げるのはわくわくした。はじめは食品担当、人気レトルト商品「バターチキン」をオープン1日目に300個売り上げ、工夫すれば結果が見えることはやりがいにもつながった。売上目標を達成するために、様々な戦略を立てた。流行りを把握したり、季節に合わせて売り場を工夫したり、こうした見せ方の工夫は今の仕事にも役に立っているようだ。

挫折、奮起、デザインの道へ

無印良品で働いて1年が経った頃、陶芸をしていた知り合いの方からウェブショップを立ち上げるから手伝ってくれと誘われ、転職を決意。しかし、全く経験したことのない陶器の製造・販売という現場は思っていた以上に細かくシビア・・・不向きなことが発覚し挫折した。

しばらくはふらふらと図書館に行っては興味をもったものを読んだり、知り合いのお店でアルバイトをしたりして過ごした。でもやっぱり手に職をつけたいと思い、デザインの勉強を再びはじめデザイン会社に入社した。

ストーリーを伝えたい

入社後は、グラフィックデザイン、webデザイン、撮影、映像編集、ライティングなど、様々な仕事を経験。その中でも、取材・ライティングを行った『レクサス匠プロジェクト』は記憶に残る仕事だったと話す。ライターとしてははじめての仕事だった。

このプロジェクトは各都道府県から一人ずつ「匠」を選出し、約半年にわたり、各界の第一線で活躍するスーパーバイザーやメンターからのアドバイスとサポート上、自身の持つ技術やアイデアを元に、新しいプロダクトをつくるという企画。彼女は若き匠のモノづくりに対するこだわりや精神に触れ、そのストーリーを記事にした。その後「ストーリーを伝える」という行為は彼女のテーマになっている。

コロナ禍、動画クリエイターとしての仕事が増える

2020年、コロナで世の中が一変したことも追い風となり、動画の仕事が一気に増えた。徳島県が行う「新しい生活の補助線〜新しい暮らし50のヒント〜」では3〜10分のドキュメンタリー映像を制作した。これは徳島県内で「新しい生活様式」を実践する県民・事業所などの「新しい生活」をクリエイター目線で映像にして発信するプロジェクト。コロナ禍で奮闘する農村舞台、徳島インディゴソックス、徳島ヴォルティス、企業などを取材した。自分の感性で自由に制作できるこのプロジェクトはクリエイティビティが刺激された。同時に編集技術がどんどん上がるのを感じたそうだ。現在、彼女は映画制作にも本腰を入れ、映像作家、クリエイターとして、企画から撮影、編集までを一貫して行っている。