About

北島裕司

Yuji Kitajima

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趣味はヨコ乗り系、

グラフィック&動画クリエイター

徳島県藍住町生まれ

肩書/グラフィックデザイナー・動画クリエイター

趣味/サーフィン(ショート・ロング)・スノーボード・バイク(シングル)・フットサル・サッカー(社会人3部リーグ・シニアリーグ所属)・釣り

好きなお菓子/ベビースターラーメン・パインアメ

家族/妻・長女

直近の仕事|

●建設会社

 新聞広告、SNS広告、看板、会社案内や建築実績パンフレット等の制作

●宝石店(新潟市・東京銀座)

 オリジナルジュエリーブランドのロゴ、カタログ、

 フェアのバナーなどの制作、宝石の商品撮影など

●地元J2リーグサッカークラブ冊子

●動画コンテンツの撮影

サッカーに汗を流した青春の日々!

彼は、徳島県板野郡藍住町にて昭和53年、姉2人の後、初の男子として生まれた。彼の父はタイル職人、母は事務員として家計を支える、ごく一般的な家庭。

藍住町といえば、自然豊かな町。そういえば聞こえは良いが、とにかく田舎である。近所には、田畑と川とポツポツと住宅が建っている、日本の原風景と言ったほうがイメージが近い。そんな藍住町で育った彼は、中学生の時、雑誌に掲載されていたXスポーツの特集記事を見て脳内に稲妻が走る。「カッコイイ!」。早速お小遣いを貯め、マウンテンバイクを購入。悪路を走破する事を夢見て、泥だらけになりながら、近所の空き地で自ら猛特訓。このマウンテンバイクとの出会いが、彼の今後に影響を与えることとなる。

中・高校では、サッカー部に所属。ポジションはミッドフィルダー。県大会では1回戦で勝ったり、負けたりしていた。しかし、そんな弱小サッカー部であっても、先輩は神様。1・2年の時は、先輩からの理不尽なパワハラはあたりまえ。そのシゴキに耐え、彼が3年生になったとき、後輩達には嫌な思いはさせないように気を配ったそうだ。ともあれ、至って標準的なスポーツ男子だったそうだ。

2つ上と6つ上の姉の影響でませガキ!?

2人いた姉達は、一番年下の彼にやさしく接してくれた。しかし、姉達は2人、男は彼1人、当然、見るテレビや趣味は全く異なり、よくテレビのチャンネル争いが起こったが、彼に勝ち目は無く、「日本の女は強い」ことをカラダで覚えた幼少期。彼が女性にやさしいのも、このような家庭環境で育ったせいだろう。

BMXとスノーボードに捧げた学生時代

友人とBMXビデオを購入し、技を研究。フラットランドという競技の技「ディケイド」などを練習した。高2の冬には、友人の兄貴に誘われスノーボードで初めて滑った。そこで、ハマる!高校3年の時、バイトで貯めたお金でスノーボードを購入し、兵庫県ハチ高原に行く。風を切って滑る快感に心奪われ、ジャンプやパイプの技を練習し始める。そして、スノーボードを一日でも多く滑りたい!との思いから、岐阜県の大学に進学。授業を抜け出し、御嶽山スキー場でスノーボードを24時間×4年間楽しんだ。御嶽山は、何百回と滑ったため、生えている木や窪みにいたるまで、把握。ワンメイクというジャンプ競技において、空中で回る快感の虜になっていた。そうなると、大学卒業旅行は、当然ウインタースポーツのメッカであるカナダを選択。日本では経験したことのない大きなジャンプ台に大感動。「ジャンプは、飛び出して、着地するまでドーパミンやアドレナリンがドバドバ出る。この快感は飛んだ人間でないと分からないですね」と語る。

卒業後は帰郷し、なぜか県警運転免許センターで1年間公務員を務める。

公務員からの転職

彼には公務員という職は合わなかった。徳島市内にあるスノーボードプロショップの店員として働き始める。店内のポップなどを制作していたため、デザイナーになりたいと考え始める。仕事を辞め、短期の専門学校に通いDTPを学ぶ。イラストレーターやフォトショップ、ドリームウィーバーの使い方を学んだ。彼が25歳の頃だった。それは、インターネットが一般家庭にも急激に普及していた頃。卒業後、徳島市内のデザイン会社にアシスタントデザイナーとして就職。

家に帰れない下積みの日々

晴れて、アシスタントデザイナーとしてキックオフしたのだが・・・。覚える事が多すぎて、帰宅出来ず机の上で朝を迎える日々。DTPアプリケーションの使い方は理解しているが、クライアントの意向やターゲットに合わせたデザインやレイアウトは、ほとんど出来ない辛い日々が1年程続いた。クライアントには怒鳴られ、先輩にはいびられる毎日。同期入社した同僚は、数ヶ月で会社を去っていった。しかし、自らの手で創り、カタチにする喜びが、デザイナーを続ける原動力となったそうだ。

2005年徳島で立ち上がったJ2リーグのポスターコンペ

2004年12月、大塚製薬サッカー部がJ2に参加したことことにより地元徳島では、サッカームーブメントが巻き起こっていた。徳島県にJ2チームが誕生したことに県民は熱い声援を送っていた。もちろん、彼もその1人だった。彼がグラフィックデザイナーとなり5年が過ぎた2009年、徳島ヴォルティスのポスターコンペに参加。そして、見事採用。そこから、徳島ヴォルティス関連の仕事を継続的に行うようになる。

初めてのテレビCM制作

グラフィックデザイナーの仕事を中心に15年のキャリアを積んでいたが、近年の動画編集の仕事増加により、慣れていないプレミアとアフターエフェクツを駆使し、地元イベントCMの制作を行った。ベースとなる舞台の動画に合わせて文字やイラストアニメーションを加え完成した時は、新しい世界が広がったのを感じたそうだ。彼にとって平面から動画クリエイターに転身した瞬間が2019年。現在グラフィックデザイナー+動画クリエイターとして、撮影から編集、アニメーション制作など様々な広告を制作している。