About

杉本英治

Eiji Sugimoto

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まぁまぁうまい!・早い!・安い!

実直田舎の職人デザイナー

徳島県徳島市生まれ

肩書/株式会社ワーズブレーン 代表取締役・有限会社たの久 代表取締役・

グラフィックデザイナー・アートディレクター

趣味/ちゃりんこ時々トライアスロン・ロングボードサーフィン・酒・煙草

家族/妻・長男・長女

直近の仕事|

●「阿波おどり」の聖地、阿波おどり会館の刷新に伴うデザイン。

徳島市立阿波おどり会館のパンフレット(和文・英文)、

Webサイト(和文・英文)、阿波おどりのネット中継動画配信(8月12日~15日)、阿波おどり会館開催のイベント告知広告(チラシ・ポスター・新聞広告)、阿波おどり会館のスタンプに至るまでディレクション及び制作。

 

●展示会PR に伴うデザイン。

2018年9月15日・16日には、住宅メーカー等を会場に集める展示会「とくしま住まいメッセ2018」(徳島新聞主催)の広報、広告一式のデザインを制作。

これは、徳島県内で事業を展開している住宅メーカー、工務店、空調設備メーカー、金融機関、行政など40数社を徳島グランビリオホテルに集めるイベント。このイベントに必要な広告ツール(新聞広告、チラシ、Web、SNS、記録用、写真撮影・動画撮影等)を制作。

 

●地元有名菓子店リニューアルに伴うデザイン。

徳島県民は全員知っているほどの認知度が高い昭和12年創業、ハレルヤ製菓が徳島駅中ビル(クレメント)に2018年3月にオープンした店舗・広告・ディスプレイ・ポップ・パッケージ等のデザインを制作。以前(2011年)にリニーアルした松茂本店のデザインも手掛けている。

うどん屋になりたくない!

彼は、阿波おどりの本場、徳島県の小松島市という港町で昭和44年、長男として生まれた。サラリーマンをしていた両親が、脱サラし「手打ちうどんたの久」という屋号のうどん屋を始めたのは、彼が中学2年生の頃。毎日、うどん屋の手伝いをさせられ、うんざりしていたそうだ。

そんな、うどん屋で必死に働く両親の背中を見て「こんな仕事、将来したくないな」と考えていた。「汗水流して働くうどん屋=かっこ悪い」「デザイナー=かっこいい」という、いかにも中学生らしい短絡的な考えをもっていた。大人になってからは、「うどん屋もかっこいいし、両親には感謝している」と彼は語っている。

生まれつきの勘の良さと持ち合わせた絵心

彼の両親曰く、彼が2歳の頃に描いた魚の絵におどろかされたという。なぜなら、正面からのアングルで、こちらに迫ってくる魚を立体的に表現されていたからだ。幼少期から図画工作が得意だった彼は、中学校で美術部で絵を描き、絵画展で全国一に輝く、高校も県内で唯一の公立美術学校へ進学、油絵を専攻し、牧歌的な田舎の風景を好んで描いていた。県美術展等の出品すれば、ほとんど受賞。高校卒業後は、絵描き目指し、地元では著名な油絵画家の門下生になったが、封建的な画壇の体制に嫌気がさしていた。当然、絵描では、生活できないため、地元の看板屋に就職し、看板立ての穴掘りや丸太を担ぐ肉体労働をしていた。

デザイン会社からの誘いに即答し、就職

看板屋に就職し1年が経ったころ、県内のデザイン会社から「ウチに来ないか」と誘われ、嫌気がさしていた油絵も、看板屋もやめて、イラストレーターとして就職。当時のデザイン会社は、コンプライアンスはもちろんパワハラやブラック企業という言葉が無い時代。弟子と師匠の関係で、師匠のデザインを盗むべく毎日徹夜の日々。

彼が就職したデザイン会社は、徳島市内にあり社員5~6人。徳島県内の印刷会社や地元新聞社から広告や冊子のデザイン制作を受注していた。行政の仕事も多く、県内の観光施設を紹介するパンフレットなどを制作していた。19歳でイラストレーターとして就職するも、田舎の徳島では、イラストの仕事ばかりのはずがなく、様々な広告や出版物の制作を手掛けるようになった。『その頃「もっと良いデザインをして、徳島を盛り上げたい!」という夢がデザインの原動力でした』と彼は語る。

もうひとつ、厳しい下積み時代を乗り越えられた理由が、結婚し、子どもがいたためだろう。彼は、22歳で結婚23歳で長男、25歳で長女を授かった。家族の生活の為にも、早くデザイン力を向上させ、稼ぐ必要にせまられたのだろう。

起業の末に感じた希望と挫折

就職し9年が過ぎた頃、当時の社長に「お前がこの会社の社長をしないか」と言われるも断り、自分でデザイン会社を設立。これが現在の株式会社ワーズブレーン。

「もっと良いデザインをして、徳島を盛り上げたい!」との思いで立ち上げたデザイン会社。自分が社長となると、慣れないデザイン以外の業務に右往左往する始末。社長業に慣れるころには、営業をしながら、イラスト、写真撮影、レイアウト、編集、コピーライター、店舗デザイン、イベントの企画・運営まで仕事の幅が広がっていた。仕事の幅が広がり、可能性を感じつつも、利益が出ない現状に頭を悩ませることになる。

実家のうどん屋を建て直しに奮闘

起業して10年が過ぎた頃、実家のうどん店を訪ねると閑古鳥が鳴いていた。それも当然、老夫婦が25年何一つメニューも変えず続けていた結果だろう。そこで、うどん店の立て直しに奮起。彼は、エリアマーケティングを行い、メニューの開発や価格の見直し、店舗の改装、広告宣伝を行い、約2年で売り上げを約3倍にしたそうだ。

この頃から彼は、デザインに対する考え方や自分のポジションが明確になってきた。カッコイイデザインには目もくれず「クライアントを中小零細企業にしぼり、クライアントの売り上げを上げるデザインを探求。適正適価高品質なデザインをする会社」を目指し、猪突猛進する日々が続いた。

海外展開始動!

バブル崩壊後、徳島では人口減少や長期のデフレ、リーマンショックなど、厳しいことが続いていた。疲弊し続ける徳島にいた彼は、一筋の光りを海外に求めて、2014年頃、アジア各国(中国・韓国・ベトナム・カンボジア・インドネシア・タイ)を訪れた。初めて海外に出た事で、改めて日本文化に誇りを持った。いわゆる戦後レジームからの脱却だろう。そして、ベトナム・ホーチミンに、デザイン会社とうどん店を2015 年設立。単身で乗り込み、店舗の設計や、厨房機器の設計、仕入れ先の開拓、メニューイング、スタッフの募集から教育、マネージメント、広告まで自身が行った。言葉が通じない異国の地で、単身で乗り込み、心も体もボロボロの末オープン。順調に運営が進むと思われた矢先、名義人に店を乗っ取られ1年程で閉店。デザイン会社も現地の友人に委託し現在に至る。その時のネットワークを生かして、Webの開発や英訳・翻訳などを海外で制作することで、コストメリットが出せるようになった。

彼は一見、デザイナーとは思えない風体。身長も170㎝に満たず、小太りで、短髪。自身の衣服などにもほとんど興味がないらしい。趣味といったモノもあまりなく、しいていえばロードバイクやロングボードサーフィンだという。徳島には、サーフィンができる海岸が多数あり、週末になれば関西圏からサーファーが訪れるメッカだ。最近、キャンピングカーを購入し、キャンプを始めたそうだ。

社長として、アートディレクターとして、様々なデザインを「徳島のため、そして日本のため」コツコツと制作している。

 

現在は、徳島県内の行政・中小企業の広告を企画・制作。

主に、徳島県・徳島市・県内の中小企業・行政のPR(Web、動画、新聞、チラシ、雑誌)などのデザイン制作を行っている。