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About

近藤浩行

Hiroyuki Kondo

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徳島の自然をこよなく愛するトライアスリートは

感度の高いクリエイター

徳島県海陽町生まれ

肩書/グラフィックデザイナー・Webデザイナー

趣味/トライアスロン、サイクリング、美術館めぐり、音楽鑑賞

好きな食べ物/チョコレート

家族/妻・長男長女

直近の仕事|

●宝石店(愛知県)

 オリジナルジュエリーブランドのロゴ、カタログ、

 HP、バナーなどのデザイン制作、宝石の商品撮影など

●ディーラー

 商品案内、ノベルティ、新聞広告

●美容室

 オリジナルシャンプーラベル

●不動産

 SNS広告、DM

休日の過ごし方は?|

現在小学生の子どもと遊ぶことが楽しいと語る。しかし、彼は家族の時間も大切にしているが、一人の時間も必要だという。ロードバイクで徳島県内をサイクリングしたり、毎年出場している日和佐うみがめトライアスロンへ向けてのトレーニングなども、幸せを実感する大切な時間のようだ。こよなく自然を愛する彼の思考やデザインは、自然と共に過ごした幼少期の体験が大きく影響しているのだろう。

海にもぐり青春の日々!

彼は、徳島県海部郡海陽町にて昭和56 年、長男として生まれた。彼の父は海運業、母は、パートとして家計を支える、ごく一般的な家庭。

海陽町は徳島県の南部に位置する人口約8000人の漁師町。町の中心部には、海部川が流れ、漁業が盛んな港が見える家で生まれた。小学校は全学年で約100人。1クラス20人弱の学校だった。

放課後、泳ぎが得意だった彼は、ひとり海や川に潜っていた。潜って魚を捕っていたわけでも無く、ただ波に揺られて浮いているのが好きな少年だった。マイペースで温厚な性格と親や先生には評価されていたが、本人は、「世界は、もっと楽しい事が広がっている」と夢を見る少年だった。

物心ついた頃から絵筆を握り、当時流行ってたドラゴンボールのアニメをまねて描いていた。小学校では野球、中学校ではバスケット部に所属し、友人と共に汗を流した。高校生のとき、大原美術館で見た彫刻に心打たれ、彫刻家を目指し、美術部部員として、木炭での石膏像をモチーフにデッサンに励んだそうだ。そして、東京造形大学彫刻専攻に進学。色よりカタチに興味があったためか人物象を主に制作していた。

徳島へ帰郷し、美術の先生として非常勤で勤務

大学卒業後は、帰郷。元来、子ども好きで、教えるのが好きだったため、県南の高校と養護学校へ美術の非常勤講師として1年勤務。しかし、その中で気付いたのが、自身のデザイン力の乏しさだった。そこで、徳島県内のデザイン会社へ就職。

苦手なデザインを克服するためにデザイン会社へ

24歳にして飛び込んだデザイン会社。イラストレーターという肩書で、スタートすることに。大学で習ったはずの基礎デザイン。しかし、実際の仕事となると、ほとんど役に立たず、悶絶する日々を過ごすこととなる。

ターゲットの設定や、マーケティング、トレンド調査などを実践的に学びながら、幅広いデザインに対応できるスキルを習得していった。

県内の専門学校入学案内パンフレット

県内外に66施設を展開する社会福祉法人福祉専門学校の入学案内を制作したことが、デザイナーからディレクターへの転機となったそうだ。ターゲット設定や競合調査、クライアントの特長などを理解し、制作するディレクションを行った初めての仕事。社内スタッフや外部スタッフに協力や指導をもらい、実際のデザインへと落とし込んでゆく難しさとやりがいを実感したそうだ。しかし、彼は、ディレクターという肩書ではなく、あくまでデザイナーという肩書にこだわっているところが、彼らしいところだ。

愛知県の宝石店

彼らしさが見える仕事といえば、宝石のブランドプロデュースだろう。ターゲットは、これから結婚する幸せな二人。そんな二人の大切な想い出となる結婚指輪。そんな結婚指輪のブランディングとは、ターゲット設定からブランドネーミング、ロゴマーク、ロゴタイプから、什器、ディスプレイ、カタログからWebサイトまで多岐にわたりデザインする必要がある。彼ひとりで納得がいくまで時間をかけ、仕上げている。

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