About

黒田圭子

Keiko Kuroda

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20年以上

働き続けるお局

徳島県鳴門市在住

肩書/ディレクター

趣味/映画鑑賞

好きな食べ物/スイーツ・お菓子全般・アルコール類

直近の仕事|

●ケーキ屋

 チラシ、DM

●内科・美容皮膚科

 雑誌広告、ホームページ

●歯科

 雑誌広告、新聞広告

●不動産

 チラシ、ホームページ

休日の過ごし方は?|

現在2人の孫がいる彼女。月に1度は孫と遊び、残りの休日は映画を見たり料理を作ったりのんびり過ごしている。昨年見たアニメ「ゆるキャン」でソロキャンに憧れているが、未だ実行できていない。まずは、一人旅から初めてみるのもいいだろう。

病弱だった幼少期

昭和44年、徳島県板野郡北島町で3人兄弟の末っ子として誕生。当時は社宅暮らしだったため、近所には同世代の子供たちが多く、日が沈むまで外で遊んでいる健康児だった。そんな彼女だが5歳の時リウマチ熱を発症し、幼稚園休学、自宅療養を余儀なくされた。通院の度の採血は幼い彼女にとって苦痛でしかなかった。卒園式も小学校の入学式にも出席出来なかったが、療養中に父親と縁側で日向ぼっこをしていた事が今でも忘れられない大切な思い出だという。

小学生になると、病気も完治し、動く事が大好きな子供へと成長した。校内のマラソン大会では常に上位、学校のスポーツクラブで活動し、郡の陸上大会で高跳びの選手として出場も果たした。彼女のスポーツ人生のピークだった。中学に入るとバレーボール部に所属。1年生ながらレギュラーに選ばれるも、強豪に勝てるレベルではなかった。頑張っていたが、それなりの結果に終わった。そんな彼女がスポーツ以外の楽しみを見つけたのがこの時期だった。そう色気づいてしまったのだ。

バイト、バイトの高校時代

高校はスポーツで有名な徳島商業高校に進学。しかし、スポーツをするでもなく、部活に入るわけでもなく、とにかく、バイトに明け暮れる日々だった。飲食店でのアルバイトでは厨房のスタッフから料理や、デザートの作り方など教えてもらった。元々お菓子作りに興味があり、食物科がある高校へ進学したかったが、周囲の反対も有り、商業高校へ進学していたのだ。そんなわけで、バイトは大変ながらも楽しい時間だったという。接客マナーの研修を受けたことも、その後の人生では大いに役に立ったそう。高校3年生になると、バイトも程ほどに、恋愛にどっぷりハマった。

人生の転機

高校卒業後は、19歳で1児の母となり、子育てに奮闘する日々を過ごす。周りの助けもあり、子供はすくすく育っていった。信販会社や保険会社の事務員として働き、20代後半からはジャストシステムで電話対応をしていた。その頃、デザイン会社から営業にと誘われ、ふたつ返事で転職。右も左も分からない業界に飛び込んだのが30歳。そしてシングルマザーとなったのもそれから間もなくしてだった。学ぶことがとにかく多く、クライアントや下請け業者に教えてもらうことも常だったという。帰宅が深夜になることも多く、子供には寂しい思いをさせてしまったが、やり甲斐のある仕事だったと振り返る。

宝石業界との出会い

それなりの経験を積み、仕事がこなせるようになると、新しい仕事も舞い込んでくる。宝石業界の仕事もその一つだった。社長のアシスタントとして県外に出向くことも多くなり、忙しい日々を過ごす。多くは店のリニューアルオープンだった。ロゴ制作から、オープニングまでの販促物、パッケージ、ノベルティなど多岐に亘る。スケジュール管理やディレクションを学ぶいい経験となった。

カフェの立ち上げ

企業からの依頼でカフェをオープンすることに。お店のネーミングから始まりメニュー開発、商品パッケージ、ディスプレイ、販促物、ホームページ制作まで携わる。特にメニュー開発では主力となるロールケーキが決まるまで試食の日々だったが、作ること、食べることが好きだったこともあり、楽しみながらの仕事だったという。オープン当日はスタッフとしても働き、バイト三昧の経験が役に立つことになる。その後もいくつかの店舗オープンに携わるが、このときの経験が活かせたことは言うまでも無い。

現在は主に、医療関係、不動産関係の広告・広報(Web、新聞、チラシ、雑誌)などの制作を行っている。